海南市の歴史
サンコーの誕生は、海南市独自の産業に強い影響を受けています。
海南市は昭和9年(1934年)黒江町、日方町、内海町と大野村の3町1村が合併され、市政がスタートしました。

本社場所
海南市が制定された昭和9年の海南市絵地図
- 棕櫚(シュロ)栽培の起源
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棕櫚とは、ヤシ科シュロ属の常緑高木の総称です。木はまっすぐに伸び、幹の高さは約5メートル。幹の高い部分からは手の平の形をした葉がたくさん伸びていて、南国的な雰囲気を漂わせます。和歌山県での棕櫚栽培は、およそ1,200年もの昔に、高野山を開山した弘法大師(空海)が、唐から持ち帰った苗木を寺院の庭先に植えたことに始まるという説があります。
- 海南市を代表する地場産業「家庭日用品産業」
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和歌山県が全国に誇る地場産業「家庭日用品産業」は、海南市の東部で栽培されていた棕櫚を原材料にした「束子(たわし)」「縄(なわ)」「蓑(みの)」「刷毛(ぶらし)」などの製造に端を発しています。
棕櫚製品の製造は、もともと農閑期の副業でした。しかし日清・日露両戦争を経て、軍の弾薬箱の手縄として利用されるなどの軍需もあり、専業の製造者や問屋が現れるようになり、この頃に海南市の地場産業としての基盤がつくられました。その後、明治後半、大正初期に棕櫚不足が生じたことから、代用品として東南アジアから椰子の実の繊維(パーム)を輸入するようになりました。原材料がより安価なパームに取って代わったものの、「家庭日用品産業」は地場産業として益々発展していきました。
昭和30年代に入り、原材料として、ナイロン、ビニール、テトロンなど化学繊維が登場し、加工技術が発達。高度成長期に急速に進展した生活スタイルの洋風化も相まって、新たな家庭日用品の開発に拍車がかかりました。
現在においても、デザイン面や使いやすさなど、消費者の多様なニーズに対応した商品が続々開発されています。
全国シェア第1位
時代の変化とともに原材料は「棕櫚」から「パーム」「化学繊維」とシフトしていきましたが、「家庭日用品産業」は和歌山が全国に誇る地場産業となっています。
炊事、洗濯、トイレ、風呂など水回りの「家庭日用品」を扱う企業数は、海南市を中心に和歌山県内に約100社。取扱高は国内で圧倒的なシェアを占めています。